ばあちゃん89歳
2002年2月10日 今日は、母と二人で、母の実家である掛川にドライブがてら出かけた。
今年、89歳になる母の母、私のばあちゃんは、最近めっきり沈みがちだ。
その訳は、一緒に住んでいる二人の孫が、二人ともこの春家を出て、名古屋に就職、進学することになったからだ。
孫を生きがいにしているばあちゃんのことだから、その落胆振りといったら、もう、見るからに辛そう。
ボケてはいないが、思い込みが激しくなってきたらしい。例えば、散歩に行くと、誰かが家に来るような気がする、とか言って。すっかり出不精になったらしい。
生きがいがあるのはいい事だけれど、その生きがいを急に奪われた場合、人はもろいものなんだな、と思う。
戦中戦後を気丈に生きたばあちゃんだけれど、今更新しい趣味を見つけるようなことも出来ないだろうし、いや、探せばなにかあるかもしれないけど、そうさせる気力というものが、今はないようだ。
幸い、働きに行っていた嫁さんが、勤めを辞めて、ばあちゃんの話し相手になってくれるらしいのだそうだが。ありがたいことだ。
老いは必ず、誰の元にもやって来る。それを避ける事は出来ない。
私だっていつか、ばあちゃんだ。
私の肉体も、これから老化がどんどん進行して行くだろう。目がかすみ、耳が遠くなり、腰が曲がり、加齢臭が漂いだす。想像できないことだけれど、確実に、何年か後の私の姿だ。
気力だけでは、加速する老化に対抗しきれないんだろうな。
120歳まで生きるつもりなんだけれどね。
生まれて、楽しみ悩み成長し、老いて、死んで行く。みんな同じようにしか踏めないステップ。
死ぬまでに、どう生きるか?どうやって生き延びて行くか?行き続けていくか?
日々の些細な出来事を、こうして日記に書きとめ、笑いながら生きていく。
人生を100%だとしたら、85%が「笑い」で占められるような人生でありたい。
あとの15%は、その為のスパイス。
ばあちゃん、長生きしてね。
私が嫁に行くまで。って、ことは、ばーちゃん、死ねないな…
今年、89歳になる母の母、私のばあちゃんは、最近めっきり沈みがちだ。
その訳は、一緒に住んでいる二人の孫が、二人ともこの春家を出て、名古屋に就職、進学することになったからだ。
孫を生きがいにしているばあちゃんのことだから、その落胆振りといったら、もう、見るからに辛そう。
ボケてはいないが、思い込みが激しくなってきたらしい。例えば、散歩に行くと、誰かが家に来るような気がする、とか言って。すっかり出不精になったらしい。
生きがいがあるのはいい事だけれど、その生きがいを急に奪われた場合、人はもろいものなんだな、と思う。
戦中戦後を気丈に生きたばあちゃんだけれど、今更新しい趣味を見つけるようなことも出来ないだろうし、いや、探せばなにかあるかもしれないけど、そうさせる気力というものが、今はないようだ。
幸い、働きに行っていた嫁さんが、勤めを辞めて、ばあちゃんの話し相手になってくれるらしいのだそうだが。ありがたいことだ。
老いは必ず、誰の元にもやって来る。それを避ける事は出来ない。
私だっていつか、ばあちゃんだ。
私の肉体も、これから老化がどんどん進行して行くだろう。目がかすみ、耳が遠くなり、腰が曲がり、加齢臭が漂いだす。想像できないことだけれど、確実に、何年か後の私の姿だ。
気力だけでは、加速する老化に対抗しきれないんだろうな。
120歳まで生きるつもりなんだけれどね。
生まれて、楽しみ悩み成長し、老いて、死んで行く。みんな同じようにしか踏めないステップ。
死ぬまでに、どう生きるか?どうやって生き延びて行くか?行き続けていくか?
日々の些細な出来事を、こうして日記に書きとめ、笑いながら生きていく。
人生を100%だとしたら、85%が「笑い」で占められるような人生でありたい。
あとの15%は、その為のスパイス。
ばあちゃん、長生きしてね。
私が嫁に行くまで。って、ことは、ばーちゃん、死ねないな…
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